ツアー直前、ブレハッチに聞く
〜15年前の初日本ツアー締めくくりの作品を再び
2021年10月26日(火)7:00pm ミューザ川崎シンフォニーホール
ラファウ・ブレハッチ ピアノ・リサイタル
ショパン国際ピアノ・コンクールに沸くワルシャワから離れて、ラファウ・ブレハッチは静かに日本を訪れた。来日したばかりの彼と早速オンラインでのインタヴューを交わしたが、旅の疲れも隔離の苦難も感じさせず、いつものように落ち着いていて、お元気そうだった。
昨秋に予定されていたリサイタル・ツアーは延期を余儀なくされたが、もともとじっくりとプログラムを練り上げるブレハッチにとっては、さらに熟考と解釈を深める時間であったに違いない。と同時に、聴衆不在の長い期間は、コンサートでのコミュニケーションを大切にする音楽家には厳しいものだった。
2021年10月12日、大阪のホテルを繋いだオンラインでのインタヴューに、前回来日時、2019年11月7日に都内の練習スタジオで行った対話も重ね合わせて、ブレハッチの肉声をお伝えしたい。
「パンデミックの影響で、芸術家や音楽家、すべての人々にとって困難な時期がきて、このリサイタルも一年ほど延期することになりました。その間もたくさん練習しましたし、異なる作品も準備しながらも、このプログラムを演奏するのをずっと楽しみにしていました。ついにこれらの作品を、日本や世界のみなさんと共有できるのは、とても幸せなことです。」
――考えぬかれ、凝縮された充実のプログラムですね。非常に美しく、含蓄があります。バッハとベートーヴェン、そしてフランクとショパン。前半がドイツ音楽でハ短調、後半がフランスで書かれたロ短調という構成。しかも、全体を通じて、組曲、ソナタ、変奏曲、前奏曲とフーガと多彩な様式をめぐります。
「かなり長いことプログラムを練っていたのですが、ある朝ぱっと閃いたのです。今回のプログラムは、私のなかでも一、二を争う良いプログラムになったと自負しています。
バッハ、ベートーヴェンの初期作はまさに古典ですし、後半のフランクとショパンも古典的な構造がしっかりとあるなかで、ロマン派の感情が色濃く出てくる。前後半で非常にコントラストの利いた構成です。ドイツ風の堅固な様式感と高い緊張感、フランス的な自由とやわらかな表現の対比ですが、バッハのパルティータの冒頭から顕著な付点リズムの劇的な緊張感は、ベートーヴェンのソナタと変奏曲だけでなく、プログラム全体の共通点ともなっています。
和声の面で言うと、バロックの時代の考えかたにもとづいて構成したことも強調しておきたい。バッハのハ短調パルティータを、バロックのピッチで弾くとロ短調の響きがするのです。ショパンはバッハをとても愛好していましたが、ソナタ第3番にも多声的な部分が出てくるので、パルティータとの関連性を考えて選曲しました。フランクに関してはオルガン作品からの編曲です。バッハもフランクも非常に優れたオルガニストでしたから」。
――あなたもオルガンを弾くのがお好きなのでしょう? 息の長いオルガンの響きが身近なことで、ハーモニーや持続、音楽の構造に関して理解が深まった点もあるでしょうね。
「ええ、それほど頻繁ではないですが、私が通う近所の教会で演奏することが稀にあります。レガートについては、オルガンを弾くことからも音を滑らかに繋げていくやりかたを学びました。私はピアノの右ペダルをあまり使わないのですが、そのことでよりバロック的な明瞭な表現ができます。また、オルガンでは複数の声部を弾くとき、鍵盤の段を変えることで主題の強弱を容易につけられますが、そうした立体的な構成もピアノに応用しています」。
――ハ短調という調性には、モーツァルトやベートーヴェンの協奏曲も含めて、とくに深い愛着をおもちですね。
「なぜかわかりませんが、とても惹かれるのです。ハ短調という調性は、ベートーヴェンにとっては殊にドラマティックで、悲劇的な情調をもっています。いっぽうでバッハのパルティータでは、一種の希望を示している。私たちにとって、とくにいま世界中の人々が困難に直面した時代にあって、希望はたいへん重要なものです。主調はハ短調とロ短調ですが、曲を通じてハ長調やロ長調も出てきて、私たちの人生における感情の光をみせてくれます。クラシックの作品には調性や構造がありますが、感情そのものには調性も構造もなく、ただ感じるままです。音楽のおかげで、私たちは言葉を超えたものを感じられるし、そこに人生の深い反映をみられるのでしょう。しかも私はありがたいことにピアニストですから、他者と経験を分かち合うこともできるのです」。
――コンサートでの再会もまもなくです、待ち遠しいですね。
「日本のみなさまはとても集中して聴いてくださいますからね。いまは特別な情況ですから、コンサートホールでお会いできるのは非常に重要なことです。ちょうどワルシャワのショパン・コンクールが行われている時期でもありますね。いまからちょうど15年前に、私は初めて日本でのリサイタル・ツアーをしましたが、そのプログラムの結びがソナタ第3番だったのです。同じ作品で帰ってくることになりますが、少々異なる演奏になっていると思います。コンクール以降の演奏活動、そして人生の経験を通じて育まれた私の新しい感情と新しい知覚を、みなさまと共有できるのを心待ちにしています。とてもとても待ち遠しいです」。
取材・文 青澤隆明