ブルース・リウ インタヴュー
2025年3月17日(月) 19:00 開演 ミューザ川崎シンフォニーホール
〈インタヴュー・文 青澤隆明〉
来たる春のブルース・リウのリサイタルには、ロシア音楽の豊かさを多彩に物語る素敵なプログラムが組まれている。
2024年1月にレコーディングもしたチャイコフスキーの『四季』の12の月を半分まで弾いて、ラフマニノフが自らの編曲で愛奏したメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」を挿み、スクリャービンの才気に充ちたソナタ第4番へと繋ぐ。そして、『四季』の続きを、プロコフィエフの第7番「戦争ソナタ」で結ぶ。ロシアの多様な名作を通じて、ブルース・リウというピアニストの新たな光景が拓かれることになるのだろう。
10月、アラン・アルティノグル指揮フランクフルト放送交響楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」での日本ツアーを終えたばかりのリウに話をきいた。
――チャイコフスキーの組曲『四季』との最初の出会いはどのように訪れたのですか?
「自分で演奏しようと思って学び始めたのは昨年のことですけれど、最初の出会いと言えば、13歳か14歳のとき、映画のなかで『6月』を聴いたのだと思います。いつもはワルな男の子が女の子とレストランに行くと、そこで不意に『6月』が流れてくる。彼が音楽に聴き入るシーンが映って、そこから歩きかたやらなにやら、彼が途端にアーティスティックになるんです。そういうことがあって突然、女の子が彼に恋をする(笑)。それが僕にとっての『四季』の最初の記憶でした。」
――とても喚起力のある音楽ですものね。
「ええ、むかしの思い出とどこか似ていますね。チャイコフスキー自身の感情が描かれて、日記に近いところもある。もちろん、この組曲は出版社のために毎月書き継がれたものではあるけれど、音楽はとても親密で、彼自身に話しかけるようなものだと僕は思います。
コンサートで全曲を通すと、一本の映画を観るような、または一年を振り返るような、とてもいい感じになると思いますよ。家族で暖炉を囲んでいたと思ったら、いつしか12月になって、1年が終わる、40分のうちに素早く(笑) 。どの月もユニークな性格と魅力をもっているし、それぞれに自分の心象を重ねることができる素晴らしい作品だと思います。」
――しかも、とても美しいプログラムです。『四季』を6か月で分けて、前半にはラフマニノフの愛奏曲と、スクリャービンを続け、後半ではプロコフィエフの大きなソナタがくる。全体として、異なる抒情、メロディーやリズムなど、多様な性格や要素が詰まっています。
「そう、『四季』を分けたかったんですよ。僕は夏がもっと長ければいいと感じるから(笑)。それでいったん6月で終えて、「夏の夜の夢」の後にも、また別の夏がくる。夏の焔のようなスクリャービンで、狂おしくなっていくんです。みんなが学校に戻るまえに、夏休みが長くなるみたいに(笑)。そして、私たちはプログラムの終わりを、有名なスターリングラードの戦時下の冬で終えます。ロマンティックなものがあり、そしてプロコフィエフの最後は非常にリズミカルに終わる。こうした音楽言語のコントラストがとても興味深いと思います。」
――スクリャービンの第4ソナタは非常に美しい曲ですし、ご自身の特別な愛着もありますか?
「ええ。おそらくスクリャービンの初期の最後に位置する作品で、比較的古典的な構造をとりますが、彼がすでにある種の欲望とエクスタシーに駆られていることはわかる。なにかを変えようとか、他の惑星に飛び立ちたいといった欲望に。どう説明すればいいのか……、円を描くようでいて、でも決して円環は閉じず、永遠の循環のようにつねに流れをもっている。予期せぬ驚きがいつもたくさんあるから、ステージで演奏すると、ほんとうに素晴らしい感覚をおぼえるのです。いつも異なる要素に駆り立てられる。この曲のクレイジーなムードに入って行くためにはきっと、トウガラシを食べて臨む必要がありそうですね(笑)。」
――プロコフィエフのソナタ第7番は、さらに時代を下って第2次世界大戦中に書かれた作品です。
「おそらくプロコフィエフのもっとも知られたソナタですが、僕にとっては、音楽はあくまで音楽であって、戦争や当時の状況を扱おうとするものではありません。しかし、ある意味で、歴史を垣間見ることは、私たちに必要だと思います。リズミカルでエキサイティングだし、どこか皮肉な音楽だけど、奥に入って行けば、非常に深みのある世界でもある。いたって親密なチャイコフスキーの『四季』とは、素晴らしい組み合わせになると思います。」
――チャイコフスキーはピアノがずっと好きでしたし、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフはピアニストとして大いに活躍しましたね。
「ええ。でも、作曲とピアノ演奏はやはり別物でしょう。作品は、演奏されなければ、ただの紙です。楽譜に書かれていることそのものが音楽なのではなく、演奏されることで音楽になる。僕はいつもそのように考えています。作曲家の遺した楽譜をみるときは、台本を手にしているようなもので、自分がそこに籠めるものがたくさんあると感じます。」
――3月のこのリサイタルの後、6月になれば、ラハフ・シャニ指揮ロッテルダム・フィルと日本に戻ってこられますね。プロコフィエフの協奏曲第3番が聴けるのもまた楽しみです。
「もちろん僕の好きな曲です。ラハフ自身もピアノで弾きますが、指揮者が同じ協奏曲を弾いているのは、僕にとってたぶん初めての機会になる(笑)。ピアニストとしてどう演奏するかを彼なら前もって想像できるだろうし、とても面白いことになると思います。ラハフとロッテルダム・フィルとは一度共演して素晴らしかったし、プロコフィエフはもっと良い演奏になるはず。非常にエネルギーに満ちた、推進力のあるオーケストラですからね。」
――さて、『四季』に擬えて言うと、あなたはいま音楽家として人生のどの季節を歩んでいるところでしょう?
「1月だといいけれど。僕はいつもやることがたくさんあるから。でも1月は寒すぎる(笑)。わからないな、たぶん4月、希望に満ちて(笑)。春が始まって、夏はその先にあって……」。て毎回の演奏を特別なものにしてくれます。日本で演奏できることを、楽しみにしています。